「御影」という地名の起こりについては諸説あるが、「ミ」は「水」、「カゲ」は「カキ(囲または垣)」のことと思われる。字にもある「澤ノ井」で、神功皇后が三韓出征の帰途でここに立ち寄り、井戸に姿を映して化粧したという伝説もあるが、これは後の作り話であろう。
「弓弦羽神社」は、古くから栄えていた郡家村・御影村・平野村(兵庫区の平野村と区別して「口平野村」とも呼ばれる)の3村の氏神として、社勢を誇っていた。江戸時代後期には、酒造業者や廻船業者によって、幾度か社殿が造られている。1995(平成7)年の阪神淡路大震災で社務所や鳥居に被害が出るも、1998(平成10)年に復興した。社伝によると、神功皇后が三韓出兵から帰国した際、忍熊王の反乱を知って、この地に弓矢や甲冑を納め、熊野大神を奉斎したのが始まりで、8世紀末(延暦年間)に弓弦羽ノ森を神領地とし、849(嘉祥2)年に社を造営したという。
東灘区はだんじりが有名であるが、この弓弦羽神社もそのひとつである。郡家・柳(中御影)・西御影・弓場・平野・東之町・中之町・西之町の7つが集結する宮入は圧巻である。
19系統・39系統は、阪急電鉄神戸本線御影駅の東側の道路を通行しているが、このガード下がとにかく狭い。大型車が通行するには対面交通を止めなければならないものの、カーブで見通しが悪く、運転上難儀する地点である。
「阪急御影」停留所は、2001年に37系統が開業して1箇所増設された。 2008年、市道阪神御影駅前線の東行と、市道弓場線の延伸部分が開通。19系統の深田池〜阪神御影間を弓場線に乗替えたほか、39系統は深田池〜御影水道路間の阪神御影行を弓場線経由とした。鴨子ヶ原方面行の停留所に変化はないが、阪神御影行の停留所はちょど道路の付替え部分にあり、深田池側へ移設された。
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