昭和22年、神戸市・芦屋市とその間の5町村(御影町・住吉村・魚崎町・本山村・本庄村)で合併の動きがあった。枠組みは、神戸市と5町村による「神戸市」と、芦屋市と5町村による新市制定、の2案だった。後者は「甲南市」「灘市」などの市名案が出されたが、前者の合併機運が次第に強くなった。昭和25年4月に御影町・住吉村・魚崎町が合併、神戸市に「東灘区」が誕生した。残る本山村・本庄村も同年9月に神戸市と合併、東灘区の一部となった。 新区の名称に際しては、「灘の生一本で知られた灘五郷の中心地」であることから「灘区」としたかったが、既にその西側に存在していた。現在の灘区域よりも、御影や魚崎を擁する新区域の方が酒造りの本場で、灘区に対して「本灘区」とするとか、灘区を「西灘区」と改めて新区を「灘区」とするとか、諸案出てかなり紛糾したというが、やむなく「東灘区」となっている。
かつて、31系統(JR甲南山手〜渦森台)は、昼間時間帯に東灘区役所前を経由する運転系統(「昼間コース」)があった。現在、阪神電鉄バス・阪神バスの「甲南町五丁目」停留所と並んで立っている長丸型の停留所標識は、この時使用されていたものである。 また、38系統に存在していた「渦森台→東灘区役所前」という運転系統は、2006年4月のダイヤ改正で阪神御影まで延伸されて消滅した。これに伴い、おりばの停留所標識1本が撤去されている。
|